SSブログ

マニラ・インタビュー @ ザ・ペニンシュラ (2010/11/17) - デヴィッド・アーチュレッタのアジアプロモ2010 [インタビュー訳(動画)]

G101117-13.jpgPhoto credit to Naree

Grayです。
2010/11/16、デヴィッドはアジア・プロモーションで、シンガポールに次いでマニラに入りました。そのようすは、こちらの記事でrikuchanさんが紹介してくれましたが、そのときに受けた数々のインタビューのひとつを紹介します。11/17、この日デヴィッドはザ・ペニンシュラで、午前10時半から午後3時半までのあいだに8グループのインタビューを受け、この動画はそのうちの最後のひとつです。
この席に出席したファンサイト”Archuleta Philippines”と"The David Chronicles”のjackryan4da(JRforDAI)さんと、アジアでいつも素敵な写真を撮ってくださるNareeさんがこの動画を撮影しアップしてくれました。フィリピンのみなさんの質問は真面目だし(アメリカでのインタビューがいつも不真面目という訳ではありませんが^^;)、デヴィッドもなかなかせきららに語っています。

(インタビュアーは複数いますが、すべて「インタビュアー」と表記しています。また、とくに質問が聞きとりづらいため、適当に省略していますが、ご了承ください。)

David Archuleta Manila Press Conference (2010/11/17)
Video credit to JRforDAI

デヴィッド: ハーイ!
インタビュアー:ハーイ!
デヴィッド:調子はどう?やあ、あはは。カムスタ(ごきげんいかが)?あはは。
インタビュアー: 疲れた?
デヴィッド: あ~、ううん。
インタビュアー: ハイ、ソニー・ミュージック・プレスのコーリーです。
デヴィッド: あ、こんにちは。はじめまして。
インタビュアー: アイリーンです。
デヴィッド: アイリー?
インタビュアー:アイリーンよ。
デヴィッド: アイリーン? そうか。♪Come on Eileen~♪
インタビュアー: その歌、知ってる!大好きなのよ!
デヴィッド: そうなの?(ハミングし続ける)
インタビュアー: ”Archuleta Philippines”と”The David Chronicles”の??です。(名前がはっきりわかりません)
デヴィッド: わあ、そうなんだ!いいね。会えて嬉しいよ。あはは。
インタビュアー: 本のことはおめでとう。“Chords of Strength”がニューヨーク・ベストセラー・リストにのったわよね。日記はまだ書き続けているの?
デヴィッド: うん、あいかわらず書き続けてるよ。
インタビュアー: まだ書いてるなら、本のパート2が出るってことはあるのかしら?
デヴィッド: うーん、そんなにすぐにってことは、ないと思う。というのも、10代としてあの本を書くというのは、それだけで挑戦だったから、だからもしかしたら、ほら、数年後とかには・・・。あははっ、わかんないけどね。その頃みんながまだ、ぼくのことを知りたがってるかどうか、わかんないけど。
インタビュアー: アルバムのことを聞かせて。いちばん気にいってる曲、または誇りに思う曲は?
デヴィッド: いちばん誇りに思う曲?ぼくはいつも、最初と最後の曲をあげるね。”The Other Side of Down”は、ぼくが成し遂げたいと思ってることをいいバランスで含んでるように感じるんだ。歌詞とテーマと、その曲のノリがね。いい気分になれるノリがある。ちょっと風変わりだし、そういうとこが、みんなに示したかったとこなんだ。それから最後の曲“My Kind of Perfect”は、ぼくなりのラブソングだ。というのも、ぼくは恋愛したことがないんで、いったいどんな人なんだろう、って思いをめぐらす曲なんだ。
インタビュアー: このニュー・アルバムではどんなチャレンジがあった?ファースト・アルバムで学んだことを、このアルバムでどう生かすことができたのかしら?
デヴィッド: ファースト・アルバムは、まったく違ったよ。というのも、さあアルバムをつくろう!って、たくさんの曲を寄せ集めて、可能な限り早くアルバムを仕上げたって感じなんだ。だから、ごく最後のほうの過程以外では、自分自身が制作にかかわる時間は、それほどなかった。でも、その過程からも多くを学んだよ。このビジネスのしくみ、なにが起っているのか、どういうひとたちがかかわっているのか、とかね。それで今回のアルバムでは、過去に学んだことを生かした。でもこのアルバムをつくりながらも、まだ学びの連続だったけどね。自分自身に問いかけることが、助けになったかもしれない。それは、ぼくはほんとうに、彼らの言うことを聞かなくちゃならないんだろうか? ほんとに、こういうやりかたじゃないといけないのか? または、これについて歌わなくちゃならないんだろうか? っていうようなことだ。答えは、そうじゃなかった。だってこれはぼくのアルバムなんだ。ぼくの顔がここに載るんだ。それで気づいたんだ、他人がぼくに、これをしちゃいけないとか、ぼくのやり方は間違っているって言うのなら、じゃあぼくはこのアルバムでなにを成し遂げて、なにを伝えたいのか、明確にする必要があるってね。ぼくはこのアルバムを、自分らしいものにしたかった。とくにもし、自分自身の経験や、このアルバムのテーマがぼく自身のことや、ぼくの人生の見方についてならば、だれも、ぼくのやり方は間違っているとか、そんなことすべきじゃない、なんて言えないはずだって思った。だって誰よりもぼく自身のことをよく知っているのは、ほかならぬぼくなんだから。でも、さらにもっとぼく自身をよく知ってるのは、(天を指さしながら)ひとりしかいないけどね。あははっ。それだから、ぼくだけが、なにが本物で真実なのか、見分けることができる。そうすることが自分の成長の助けになったし、自立させてくれた。自分がほんとうに言いたいことを歌詞で表現できるようになる助けになった。それで、そんなやりかたは正しくないって言われたけど、ちょっと待ってよ、これで正しいんだよって。だって、ぼくが正しく自分を表現できているかどうかは、ぼくにしかわからないことだから。なあんて、どう言ったらいいかわからないけど、でも、間違いなく多くを学んだよ。
インタビュアー: ほとんどの曲を自分で書いたわけで、自分をさらけ出すことは簡単だった?難しかった?
デヴィッド: 自分をさらけ出すのは、大変なことだったよ。初めはものすごく大変だった。だって、なにを言ったらいいのか、どう言ったらいいのか、わからなくて。でもこのアルバムと、本の執筆も同時にやったことが、ほんとうに心を開かせてくれた。どう表現するかを学ばせてくれたんだ。自分自身や、自分のアイデア、自分の体験してきたことをどう表現するかをね。間違いなく、もっと自分をさらけ出すことができたし、いまでも、自分を隠す必要なんてないんだと感じることができてる。以前は、自分をできるだけ隠さなくちゃ、って感じてたんだ。というのも、ぼくはドジってばかりいて、不完全な人間だったから。だから、こういう立場になったからとくに、そういう面を見せちゃいけないんだと思ってた。いつでも華やかで完ぺきで、ぼくはこんなに幸せいっぱいな人間なんだ、って振る舞わないといけないと思ってた。わかるでしょ? でも、大勢のひとの前でミスったりドジをかさねるうちに、ぼくが不完全な人間でも、だれも気にしないんだってことに気づきはじめたんだ。べつに完ぺきな人間じゃなくてもいいんだってことにね。こういうことをしていくのに、完ぺきな人間である必要はない。ただ、一生懸命働くのをいとわないこと。もし自分が不完全で間違いを犯してばかりいる人間で、取り組まなくてはならない課題があったとしたら、ただ一生懸命に取り組むことだ。自分の最善を尽くすこと、それがすべてなんだ。完ぺきな人間である必要はない。それがわかったことが、ぼくにとっては大きな安堵だったんだ。あははっ。
インタビュアー: (CDの写真を見ながら)この写真はどれも、きみが飛んだり跳ねたりしてて、おもしろいね。
デヴィッド: そうなんだ。その写真もまた、ぼくが学ぶことができて嬉しかったことだよ。どんな写真を撮ってもらいたいかを説明する必要はなかったんだよ。それで、ぼくは闘わなくちゃならなかった・・・と言っても、ほんとにケンカしたわけじゃないよ、でも、自分がどうしたいか、しっかりと足を地に着けている必要があった。楽しいものにしたかった。でも、「実際のところ、このような写真のほうがもっと、ひとびとにアピールするものなのよ。ひとびとが好む写真というのは、もっとこういう・・・。」みたいなことを言われた。ぼくは、はぁ?って感じだった。ぼくがなんでこの写真が好きかって、ただ壁のとこで撮ったり、またはこんなふうに・・・(とび跳ねるしぐさ)いろいろやってるんだけど、ほんと楽しかったよ。でも、自分はこうしたいんだっていうのを、伝える努力をしなくちゃならなかった。と言うのも、もしひとにまかせたら、知らないところで勝手にいろいろとやられちゃうから。だからそれは努力した。写真をどうするか、よく考えなくちゃならなかった。そうだ、アルバムの写真撮影がもうすぐあるな、これはとても大切なことだぞってね。自分がどんな人間なのか、どんなイメージ、どんなエネルギーをみんなに与えたいのか、それで決まるんだ。だから、どんな写真にしたいのか、ぼくはなにを見せたいのか、って考えた。”The Other Side of Down”だろ?いったいどんな・・・、そう。どんなノリの、どんな自分を、ぼくのどのような面をこの写真で見せたいんだろうって。それで、ほとんど選ばれそうになったアルバム・カバー写真は、すごくシリアスな感じのだったんだ。それはすごく・・・、前ほどは悪くなかったけど、なんて言うかとても、まるで・・・、べつにぼくじゃなくったっていいんでしょ、って感じの写真で・・・。そんなのいやだった。ぼくはそんなふうにしたくなかったんだ。でも彼らは、「でも、この調査によれば・・・。」とか言う。ぼくは、調査なんてどうだっていいんだ!って。あのビデオと同じだよ。調査がどうだろうと、ぼくにはどうでもいい。彼らが言うには、「年齢の高いひとたちを出すわけにはいかない、なぜなら若者たちはそういうのを嫌がると調査結果に出ているから」って。でも、若者が好もうが好まざろうが、みんな人生において、あらゆる年齢層に囲まれて暮らしているんだ。年寄りもいれば若者もいる。ぼくは、現実味のあるものにしたかった、だから・・・。 ともかく、ごめん、楽しい写真についての質問だったよね。あははっ、なんか収集がつかなくなっちゃった。ともかく写真は、楽しいものにしたかった。だから大切なことは、フォトグラファーとじっくり話して、ぼくがどういうものを撮りたいのかよくわかってもらうことだったんだ。だってぼくが話さなかったら、ぼくがこの写真撮影でどんなことをしたいのか、彼にわかるすべはないからね。逆さまになりたい!はしごを使ったり、こんなことやあんなことして、楽しいものにしたい!って伝えたんだ。シリアスぶってかっこつけるんじゃなくて、親しみやすいものにしたかった。生身の人間らしいものにしたかったんだ。
インタビュアー: いいことね、ちゃんとした考えをもっている。
デヴィッド: ありがとう。
インタビュアー: 今年は10代の最後の年だけど、有名になって、あなたの10代はすばらしかったと言える?それともなにかやり残したように感じてる?とくに有名になってから。
デヴィッド: うーん、やり尽くしたように感じるよ。それよりか、想像していたよりもずっと多くのことを、10代のうちに経験できた。(質問者のセリフわかりません) ううん、そんなことはないよ。と言うのもたぶん、10代の自分に過度な期待はしてなかったんだと思う。あははっ、だから、思ってたよりも、ずっと多くのことが起きたよ。自分の振る舞いをどう決めるのかというようなことも含めて・・・、つまり、多くのことが自分しだいなんだ。姿勢とか、ものごとへの対処方法についての自分の決断がね。思うに重要なのは・・・、とくに10代にとってというわけじゃなく、人生において、姿勢というのは重要だよ。「ぼくの10代はひどかった」とか言うのは簡単だけど、でも多くを学ぶことができた。それは確かだ。たとえ物事がうまく行かなかったとして、ときにすごくイラついたりもするけど、でもそれってそんなに悪い事じゃない。ただ、ひどいと嘆くんじゃなくて、わあ、あの体験からこんなに学べた、そしてこんなに成長したぞ、イェーイ!って言える。わかる? いまはどん底に感じるけど、あとは上がるだけ。“下の反対側”だ。もうこれ以上、落ちようがない、ってね。あははっ。そんなふうにいつも、前進し続けることができるんだ。ときに、どうして自分がこんな目にあうんだろう?どうして自分ばっかり?って感じるかもしれない。でもそれが経験となり、ある日なにかが自分の人生に起きたときに、あれ?って気づくことがある。自分はそんなとき、どう対応すればいいかわかってるんだ。だって、過去にくぐり抜けてきたことだからね。 それで、自分がくぐり抜けてきたのと同じことを経験してるひとに会ったりする。そんなとき、苦しんでるのは自分だけじゃなかったんだ、って思う。自分はそれを克服してきた。だから、自分が学んできたことを分け合って、そのひとを助けてあげることができる。それってすごくすてきなことだ。それが、学ぶことのおもしろい点なんだけど、ときに、自分がなにかつらい経験しているのは、自分以外のだれかのためだったりする。でも、すぐにそれはわからないものなんだ、いつか、だれかと出会うまではね。それで、わあ、自分はこのひとを助けるために、あの経験をする必要があったんだ、って気づくんだ。ぼくたちの人生がどう絡み合うのかを見ると、すごいなあって思うよ。みんながどう繋がりあい、お互いのためにそこにいるんだというのを見るのは、すごいよね。
インタビュアー: そういうあなたの経験は、どのくらいこのアルバムの制作に生かされてるの? と言うのも、前回のよりももっと成熟したように感じるから。
デヴィッド: それは間違いなく・・・。たぶんそれは、楽しい部分と、意味のあるメッセージとのバランスなんじゃないかな。 ほとんどの曲はすごく楽しいものだ。曲の、前向きで楽しい雰囲気を保ちたかったからね。でも・・・、さっきも思ったんだけど、成熟さを未熟さで表現したというか。わかる?少なくとも、楽しいものにしたかったんだよ、だって、10代最後の年だから。これが10代としてアルバムを出せる最後のチャンスだったんだ。2週間後とかに次のアルバムを出すってなら、話はべつだけど。だから・・・。みんなは、歌詞の内容に注意をよく払うと思うんだ。ぼくが、どうものごとを見ているかとか、あるいは、ぼくが・・・。うーん、わかんない。あははっ。考えてたことが、どっか行っちゃった。はは、ごめん。



posted by Gray at コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

コメント 1

コメントの受付は締め切りました
chappy

Grayさん、長いインタビューの訳、ありがとうございます。
海外に出ると、解放されてホンネが出る傾向があるのかな?
今回のアルバムは、写真といい曲といい、Davidの希望に近づけたものになった様ですね。シリアスな採用されそうになったカバー写真ってどんな写真だったのか、ちょっと興味あります〜
by chappy (2010-11-30 17:49) 

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。