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Star Search -デヴィッド・アーチュレッタのスター・サーチ時代

デヴィッドがスター・サーチというリアリティ番組のジュニア部門で優勝したことは有名ですが、それはスター・サーチの「シーズン2」のこと。実は彼は、この後もスター・サーチのチャンピオン大会とシーズン4に出演しています。デヴィッドのスター・サーチ歴を、パフォーマンスと共に古い順に紹介します。

★ 2003/1~2 スター・サーチ 「シーズン2」

"デヴィッドは「スター・サーチ」に、全く偶然に出演することになった。彼の叔母のチャーには音楽業界で働くボーイフレンドがいた。彼が有名なボイス・コーチであるセス・リッグス(Seth Riggs)とミーティングしていた時に、リッグスが、歌を教える時に使うコンピュータソフトウエアのプログラミングができる人がいなくて困っているという話をした。ボーイフレンドはコンピュータに詳しいジェフを推薦した。ジェフはカルフォルニアに飛んで、プログラムをインストールし、それから世間話で自分の息子が歌手だという話をした。リッグスは、彼の歌を聴いてみたいと言った。デヴィッドは、当時11歳だったが、リッグスのために歌い、リッグスは感銘を受け、短期間ではあったがデヴィッドを教えた。そして、ソルトレーク在住のボイス・コーチディーン・ケーリンのコーチを受けるように薦めた。ここでの運命のいたずらは、120人ものグラミー受賞者をコーチしたリッグスが、「スター・サーチ」のボーカル・コーチだったことである。デヴィッドはこの番組に参加しただけでなく、優勝までしてしまった。" (2008/3/16 ディザレット・ニュースより)

一回戦(Preliminary) "Who's Lovin' You?"  勝利


準決勝(Semifinal) "Fallin"  勝利


決勝 (Final) "You're all I Need to Get By" 勝利 =優勝


スター・サーチのシーズン2が終わった直後の2003年3月のデヴィッドの日記です。
ファイナル前後の様子や彼の思いが伝わってきますので、そのまま掲載しますね。

"2003年3月1~28日
家に戻ったら調子がだいぶん良くなったので、ディーン・ケーリンとアンジー・ミケルソンのボイスレッスンを何度か受けた。二人ともとっても素晴らしい先生なんだ。僕がこれまでよりも高いレベルで歌えるように手助けしてくれて、それがとっても楽しいんだ。いくつか新しい曲にも挑戦したけど、ファイナルの数日前にスター・サーチから歌う曲を尋ねる電話がかかってきた時には、まだ何を歌うか決まっていなかった。だから、数曲を伝えたんだ。
それからの数日間でちょっと気持ちが変わって、でも最終的には”You’re All I Need to Get By”が一番いいだろうって決めた。前回4点しかくれなかったナオミとベンから5点もらえるかどうかが見たかったからね。

ファイナルの数日前にハリウッドに戻って、ファイナルに出演する人たちに会った。モリーと彼女の家族はみんなとってもいい人で、アンジー先生の授業でも仲良く過ごした。彼女は、僕のお姉ちゃんのクラウディアによく似ていて、とってもおしゃべりでいつもテンションが高いんだ。二人が近くにいると、とっても楽しいよ。ファイナルの日は、戦争(※1)のために番組が本当にあるのかどうかがよくわからなかった。でも何はともあれ収録することにしたらしい。

番組では、僕の名前を書いたサインボードを掲げている人がいたのでとっても緊張して、心配になった。だってサインボードを見たら僕はきっと笑っちゃうから。だから、みんなに僕が歌い終わるまでボードを見せないでって頼んだんだ。それからステージに出て歌ったんだけど、歓声が大きくて音楽がよく聞こえなかった。でも自分ではとっても上手くできたと思った。ナオミとベンの得点にはどきどきしたけど、2人ともついに5点をくれたのには「本当に」驚いた。歌い終わってから、モリーが泣いているのをみて、僕も泣き出してしまった。彼女が勝利目前で負けたのがとってもかわいそうで。彼女の家族もとってもいい人たちなのに。
それから収録が中断されて、すごいことが起きた。リアン・ライムスが国歌を歌ったんだ。すごく素晴らしかった。これはとても特別な出来事で、観客席もみんな特別な感情に支配されていた。ナオミが祈りを捧げ、観客が黙祷した。祈りのあと、皆が帰って僕達も外に出た。

大勢の人たちが僕らを待っていてくれた。サインボードを持って僕を応援してくれた人たちの中を歩いた。おじいちゃんとおばあちゃん、それに僕がアブエリータ(※スペイン語でおばあちゃんの意)って呼んでいるもう一人のおばあちゃん、それにマーサとパパの友達が来てくれた。ラウリおばさんも、友達のマリアと彼女の子供達、家族それに友人と一緒に来てくれた。彼らが僕の名前を書いたポスターを作ってくれて、それが番組で写ったんだ。

それからホテルに戻って放送を待ったけど、その日は結局放送されなかった。僕らは番組が見れなくてちょっとがっかりした。翌日はママとクラウディア、ダニエル、それにアブエリータ、マルタと一緒にコダック・シアター周辺の観光に出かけた。ちょうどアカデミー賞の受賞式で、巨大なオスカー像が飾られていて、あちこちにレッドカーペットが敷かれていた。でもたくさんの警官がいて、近づいて見ることはできなかった。次の日、家族のみんなはユタに帰って、僕とパパは残ってユニバーサル・スタジオに行った。土曜日だったけど、とっても楽しかった。僕は、バック・トゥー・ザ・フューチャーとターミネーター2、それにジェラシック・パークが気に入った。アニマル・プラネットのショーもとっても良かった。

家に戻った次の日は、運悪く病気になって歌うことも何もできなかった。僕らは、収録に戻って残りを終わらせるんだろうと思っていたんだけど、スター・サーチは、最後の回には僕らを呼ばないということだった。でも、とりあえずカリフォルニアに行って、いくつか他のことを片付けて、できればスタジオで少しレコーディングしたり、何人かの人に会ったりするつもりだ。

この数ヶ月間に僕がどのように感じたかをまとめると、ずっと病気だったけど、楽しいことも一杯あった。大勢の人が僕にとっても良くしてくれて、僕が歌うのを助けてくれたことには本当に感謝している。スター・サーチに出演できて、たくさんの人が僕が番組で歌うのを気に入ってくれたことは本当に幸せだった。新しいホームページができたのも嬉しい。今後はみんなとオンラインチャットができるようにするつもりなんだ。オンラインチャットについて知りたい人は、僕にメールをください(※2) 。できるかぎり返事をするつもりだし、僕の歌手活動に何か新しいことがあったら必ず知らせるよ。"

(※1) イラク戦争のことです。スター・サーチのファイナルの正確な収録日はわかりませんが、次のいずれかの日に当たったものと思われます。
3月17日 - ブッシュ大統領がイラクに対して、テレビ演説で最後通告。
3月19日 - 米英軍による空爆「イラクの自由作戦」を開始。
3月20日 - クウェート領内から、地上部隊がイラク領内へ侵攻を開始。地上戦が始まる。
(※2) いまメールしても、デヴィッドとチャットはできません(笑)!

★ 2004年 スター・サーチ 「チャンピオン大会」
※シーズン1~3のチャンピオンによる争い
● チャンピオン大会 "I Surrender " 敗北



★ 2004/1~2 スター・サーチ 「シーズン4」
このシーズンから、スター・サーチのシステムが変更になり、過去のチャンピオン達が新しい挑戦者と戦う形式に。まず挑戦者2名が争い、勝った方と過去のシーズンのチャンピオンが戦います。このとき、挑戦者は対戦相手となる過去のシーズンのチャンピオンを「ウイナーズサークル」の中から自由に選択することができます。
過去のシーズンのチャンピオンは、挑戦者を破ることでウイナーズ・サークルに残留し、最後まで残留できたチャンピオン達(またはチャンピオンを破った挑戦者達)がファイナルで優勝をかけて戦う、という内容だったようです。

○ 2004/01/31 “A House is Not a Home"  勝利


○ 2004/02/07 “Climb Every Mountain” 勝利


2004/02/14 David Archuleta, “Ain't No Sunshine”  敗北


2004/02/21 “Get Here” 勝利


2004/02/28 “Wind Beneath My Wings”  敗北


これにてデヴィッドがウイナーズ・サークルから脱落し、デヴィッドのスター・サーチは終了しました。
デヴィッドが毎週出演していることに気付きましたか?そう、実は「ウイナーズ・サークル」の過去のチャンピオンの中から、毎週デヴィッドばかりが選ばれていたんです。その理由をルーペママが明らかにしてくれています。

"デヴィッドは病気だったの。私たちは彼を咽喉科の専門医に診てもらって、彼の声帯の片側が弱っていることがわかったの。それで声帯の治療と休養が必要だって言われたわ。
ウイニングサークル(にいる過去の優勝者達)に挑戦する子供達は、ドレス・リハーサルで彼らの歌を聴くの。それでデヴィッドが病気だって知って、だから毎週デヴィッドが選ばれたのよ。あの状態のデヴィッドなら、多分ウイリアム・ハングでさえ彼に勝つことができたでしょうね。私たちにとって、自分の息子が最悪の状態で最善を尽くしているのを見るのはとってもつらかったわ。でも、コンペティションに参加する時に病気になるってことは誰も予定してないし、残念ながら、私たちの場合はそうなってしまったってわけ。デヴィッドの声にやさしい歌を選んで、後はできるだけ休ませたの。それが事実。"

そう、この時のデヴィッドは声帯麻痺の初期段階で、歌うのが非常に困難な状況にあったんです。上の映像の中からも苦しそうなデヴィッドとそれをとても心配そうに見守るルーペママの姿が見て取れますね。そんな中で、デヴィッド自身は、この2年目のスター・サーチの中で、歌詞の重要性に気付き始めたのだと語っています。

"まだ小さい頃の僕は、自分の歌の何が他と違っているのか、また自分がどんな風に歌ったのか、分かっていなかった。今でも完全に分かっているとは言えないけど。でも、以前に比べて、今の僕には歌詞が非常に重要になってきている。まだ12、13歳頃の僕は、歌詞には全く注意を払っていなかった。歌詞に関心を持つようになったのは、多分「スター・サーチ」に2年目参加した頃だと思う。それまでは、音楽そのものに十分なパワーがあると思っていた。でも今では、パワフルな歌詞にも音楽と同様に非常な力があることがわかっている。そして、それを理解したことで自分も進歩したと思っている。" (2008/5/6のビルボードによるQ&Aより)

この後、デヴィッドの声帯麻痺との戦いが始まります。一次は話すことも困難な状況に陥りながらもボーカルセラピーを続け、歌を止めることはなく、徐々に徐々に回復していきました。
(written by rikuchan)

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コメント 2

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mebaru

少年時代のデヴィッドをじっくり読んで見させてもらいました。youtubeでは
いくつか消されていて残念です。
デヴィッドの歌うときのくせとかぜんぜん変わってなくて微笑ましい。
ルーペママの表情が回を重ねるごとに心配そうになっているのがわかりました。
by mebaru (2009-05-04 21:51) 

rikuchan

mebaruさん、リンク切れ教えてくれてありがとう。実はスター・サーチ時代のパフォーマンスは、結構頻繁に削除されちゃうんです。後で直しておきますね~。 ところで、デヴィッド、歌うときのくせ、直ってないって、そう?なんだか子供時代の手の振り方のほうが大胆なような気もするけど・・・。(ただね、Zero Gravityのいたずらなジャンプとかには、共通するものを感じるわ~)。
by rikuchan (2009-05-04 22:32) 

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